シャボン玉のお散歩

アート・読書案内・旅など日々の徒然を綴ります。

21世紀の恵比寿で、「風刺画で描かれた明治」と「写真で撮られた明治」を観る ②

写真を撮られると魂が抜き取られると信じている ぐるぐるです。

ビゴーの風刺画のあとは、東京都写真美術館『写真発祥地の原風景 長崎』へ行きました。ビゴーの風刺画は明治期の日本の姿を伝える史料のひとつですが、『写真発祥地の原風景 長崎』では、写真という史料で幕末から明治期の日本の姿を見ることができます。

日本の写真制作は、開国と同時にはじまり、写真は近代化の歴史を記録した媒体の一つです。長崎は、江戸時代、鎖国とはいっても出島だけはオランダと交易ができ、港町として栄えていたので、外国写真家も訪れて写真を制作していました。そのため、写真の普及も早く多くの写真が残されています。

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長崎大学では、これらの写真を歴史資料としてデーターベース化して一般に公開されているそうです。結構多くのアクセス数があるようです。「古写真 長崎大学」で検索するとトップ表示されるとか?!

幕末・明治期 日本古写真メタデータ・データベース

この展覧会では、幕末~明治期の長崎の風景・風俗の写真を「これでもか」というくらい観ることができます。

やはり写真というのは、絵と違って、なんだかリアルさを実感させる何かがあります。

写真の中のちょんまげは、時代劇のちょんまげと違って、こういうところが作り物と本物の違いを感じます。写真の中の日本人を見ていると、大河ドラマの侍とか庶民の姿って、なんだか作り物臭がプンプンですね。そういう時代の空気感は、時代考証しないのかな?

当時の人たちの着物の着こなし方と現在の着物の着方も違っています。日本の「伝統」といいながら、どこからが「連続」で、どこから「不連続」なのかを考えさせられます。私らは、本当に「伝統」を受け継いでいるんでしょうか?そもそも伝統ってなんだろう?

幼き頃に、ベアト氏撮影の幕末写真展を見に行きましたが、「生麦事件で惨殺されたリチャードソンの遺体写真」「ハリスの通訳ヒュースケンの遺体写真」「外国人殺害の下手人の十津川浪人(三枝蓊)の斬首前のポートレート」をはじめ、ひっくり返した桶の上に笑福亭鶴瓶さんに似た人の首が置かれていた「外国人殺害の十津川浪人の斬首写真」や御用提灯や捕り物道具が並べられた晒し首の「実際の獄門首の晒の風景」などなど、テロリストが大活躍の時代の写真をいっぱい見ました。もちろん、風景、風俗写真や徳川慶喜長崎奉行といったカッコつけた人たちの写真もいっぱいありましたけど。

だけど、今回は、そういう直接的で刺激的な写真はありませんでした。

しかし、ぐるぐるは、写真に写された白黒の人々の姿や風景を見つめながら、いつしか、封建的な、抑圧的で迷信的で非合理的なものに起因するのかもしれない当時の閉塞感が漂う世界の中に身を置いているような錯覚に襲われました。

わずか数十年前には、明治生まれの人たちがまだいっぱい生きていました。明治生まれの彼らが育った空間が写真の中に存在していると思うと、この写真の中の人たちが一挙に身近に感じられます。

この時代の人たちと比べて、いまを生きる私たちの何が変わって、何が変わっていないんでしょうかと、ちょっぴり考えさせられます。

デジカメが登場してから台紙に写真をプリントすることはめったにありませんが、こちらの写真展では台紙も見れるように展示されている箇所もあって、写真だけではなく、美しい台紙にも新鮮でハッとさせられました。

「写真発祥地の原風景」はシリーズとして、北海道編、東京編と展開していく予定みたいです。

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